2004年9月1日
今月は個人的なことで大変申し訳ありません。これからの意気込みを聞いてください。
(小学校入学まで) 先月8月10日に還暦を迎えました。干支が一回りして、赤ちゃんに戻るということだそうです。誕生した昭和19年は、太平洋戦争が日本の敗戦に終わる1年前でした。子どものころ何にもなかった記憶があります。父は満州に出征中で、復員するまで顔も見られない状況の中でありました。その後、弟が3人生まれ兄弟姉妹は9人の大家族になりました。昭和26年入間村立入間小学校(現在の狭山市南入曽)に入学した時は木造の校舎で校庭の砂場の脇にケヤキの木が1本ありました。
(会計事務所の創業から青年会議所卒業まで) 昭和45年税理士登録をして清水会計事務所を創業しました。昭和49年に所沢青年会議所に入会、昭和51年に入間青年会議所創立に際して移籍、昭和56年狭山青年会議所の創立に参加して初代理事長を務めさせていただきました。
「40歳までに立派な経営者としての基盤を確立したい」これが私のテーマでした。JCでの経験がこんなに役立つとは知りませんでした。
(狭山ケーブルテレビの設立) 平成4年7月に地域社会の発展を夢見て、狭山ケーブルテレビを設立して社長に就任しました。私が48歳のときです。あれか ら12年が経過しました。資本金等として11億円をお預かりして狭山市の全地域に光ケーブル幹線を張り巡らせ、どこでもケーブルテレビを楽しんでいただけ るインフラを構築しました。
(これからの意気込み) 地域の活性化は情報の公開と参加意識から生まれます。ケーブルテレビは地元の放送局です。CATV事業はテレビ放送にインター ネット接続とIP電話が加わり生活に欠かせない事業となりました。12月までに地上デジタル放送も視聴可能になります。パソコンとテレビが一体化して生活 様式が大きく変わります。いつでも、どこでも信頼され地域になくてはならない会社として成長したいと願っています。狭山ケーブルテレビがあったから生活が 豊かになったと実感していただける会社になります。「感謝」と「愛情」をテーマにして、還暦を機会に私は生まれ変わりました。どんな事でも要望を寄せて下 さい。
可能な限りお応えできるよう努力します。