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社長コラム

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歴史を訪ねる(Vol.164 2013年10月号)

2013年10月31日

国道16号富士見橋から新富士見橋の方に行き左側(入間川寄り)に「清水八幡宮」があります。車で通過すると気が付かないで通り過ぎてしまいそうです。

この神社は、木曽義仲の嫡男である源義高(清水冠者義高)終焉の地をお祀りしたものです。義高は1184年4月26日源頼朝の命による追手により入間河原で討たれ、木曽義仲の家系は断絶しました。源頼朝と北条政子の娘、大姫と婿(いいなずけ)である義高との悲恋の物語は胸を打つものがあります。今から829年も昔の事です。

狭山の歴史は、縄文時代から綿々と受け継がれています。沢山の史跡、神社仏閣に残る史実を訪ねると興味深く参考になることが多くあります。

私は、常に将来を見ながら計画を立て、目標に向かって進んできました。そんな時、ふと歴史を振り返ると改めて教えられることが浮かんできます。

10月16日(水)に埼玉県ウオーキング協会で廣瀬神社と狭山の偉人清水宗徳の墓を巡る10Kmを歩くイベントが開催される予定が台風で中止になってしまい残念でした。

清水宗徳は、1843年12月武蔵国高麗郡上広瀬村(入間川の北側は明治29年に入間郡に編入されるまでは高麗郡であったそうです)に生まれ、1909年8月に67歳で没するまで、地域振興の先頭に立ち川越鉄道創設や、入間馬車鉄道の社長として活躍されました。

養蚕、織物産業振興にも尽力され、政治の世界でも活躍されたそうです。

 

江戸時代に東の綿貫、西の鴻池と称された大実業家「綿貫家」も狭山の誇る歴史の1ページです。「綿貫家」の栄枯盛衰は故大野卓三さんから数回にわたり講義を受け放送しました。郷土の歴史を後世に残すのも私たちの使命であると思っています。

カテゴリ:社長コラム
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