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「高麗郡」建郡1300年(Vol.166 2014年1月号)

2014年1月1日

 最近特に、日本と韓国の歴史認識にズレが生じ、政治的な交渉が停滞し残念なことです。

 

私も平成26年8月には70歳になりますが、戦時中の出来事は経験も知識もなく実感が湧きません。日本と韓国の歴史は、日本の飛鳥、奈良時代以前から交流が盛んでお互いがそれぞれの時代の中で最善の選択をされて来たのではないかと思われます。

 
一つの時代を取り上げてみれば理不尽な出来事は数えきれないほどあるでしょう。それらを乗り越えて将来に向かって建設的な関係を築くための選択と行動をリーダーが実行して頂きたいと願っています。
 
狭山市は、入間川の北側と南側では「郡」が異なり、南側が「入間郡」北側が「高麗郡」でした。高麗郡は、西暦716年(霊亀2年)に建郡され、1896年(明治29年)に入間郡に合併するまでの1,180年間、狭山市の一部は「高麗郡」でした。こんな歴史も普段の生活では知ることがありません。
 
日高市に「高麗神社」そしてその近くに「聖天院」があります。この神社もお寺も武蔵野国高麗郡初代郡司であった「高麗王若光」をお祀りして建立されました。2016年には「高麗郡建郡1300年」記念事業が予定されています。会長には狭山市名誉市民・元内閣官房副長官大野松茂氏が就任され、私も商工会議所会頭の立場から実行委員会副会長の一人としてお受けしています。
 
高麗王若光の直系子孫である高麗家60代目当主である、高麗神社「高麗文康」宮司が上梓された「高麗王若光物語」を興味深く読ませて頂きました。当時の様子が浮かんでくるような素晴らしい研究書でもあります。テレビ局の一員として郷土狭山市の歴史を知り、これを広く報道することに使命を感じています。
カテゴリ:社長コラム
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